稽古開始! 次回公演 2013年07月19日 0 こんにちは。小林龍二です。一昨日頃から、東京でもセミの鳴き声を聞くようになりました。ジーワジーワ。また本日の朝は、カエルの死骸を見つけてしまい、季節の移り変わりに一種の残酷さを知ったものです。季節の変わり目は生き物(とりわけ昆虫等)の変わり目でもあるのだなと思い知らされました。いま鳴き始めているセミも、初秋にはコオロギなどの「鳴き虫」に変わり、やがては音もない冬に入っていくことでしょう。さて先週の7月14日より、第七回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」の稽古が始まりました。客演の團野カヲルさんと年代果林さんともお会いし、気が引き締まる思いです。今回は、こちらのお二方に加えて、大学演劇研究部の3期後輩で、この「群集と~」の初演に出演し、また「せかいでいちばんきれいなもの」にも出演した水川美波さんが出演します。お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、♂は私のみで、これは「せかいでいちばんきれいなもの」以来のことです。「ハーレムじゃんか。」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、なかなかどうしてそこにあるはずの甘い蜜を吸うことはできないのでございます。「あたしら着替えるから出てって!ほら!」と「伯方の塩」をビンごと投げつけられ私は稽古場を追われます。しかしそれもなんのその、その「伯方の塩」はゆで卵のために生まれたに違いない、颯爽と取り出だしたる茹でヨード卵、殻をむいてサッサっとふりかけ頬張り候。うまい。しかし私はたまりかねると、こんな風に言うのです。「みんな聞いてくれ!俺らは共にひとつの芝居を共同で作らなくてはならない!」「だから、どんな時でも一緒にいて何を考えているのか知りたい!」「みんなが役についてどう考えているのか知りたいんだ、どんな時も!」「役者をやっていて、みんなの考えが分からないのが一番つらいんだ!」「どうかこの気持ち、分かってもらいたい!」「だから、着替えを見せてくれ!」今度は岩塩が飛んできます。私は素直で善良な人間です。人間、どう考えていたとしても、やはり本音は建前以上に存在を増し、最後にはとうとうその姿を現わすのです。オセロが「緑の眼玉をした化け物」を生み出したように(?)ああ、オーネストな小林。さて、こんな楽しい稽古場です。実際、獣の稽古場は意外に和気藹々としています。楽しみながらも、しっかり切り替えて向かい合い、良いものを作っていきたいものです。今までと変わらず細やかな抱負です。今回は簡単ですが、これにて失礼いたします。また徒然なるままに更新して参ります。小林龍二 PR
獣の仕業:第七回公演始動 次回公演 2013年07月16日 0 こんばんは。お久しぶりです。お世話になっております。あるいは初めまして。藤長由佳です。14(日)より、いよいよ第七回公演に向けての稽古が始まりました。まずは、はじめて客演してくださるお二人と共に、獣の仕業的WS。身体、発声、発話のチューニングをしつつ、キャッチボールをしつつ、つつ、つつ、と稽古は進んでいきます。写真は稽古の合間に撮ったもの。ブログカテゴリに「第七回公演」を追加して、エンターキーを押して、カテゴリ一発目の記事にこうして文字を連ねていますと、季節外れのたとえではありますが、真っ白な雪原に足跡をつけていくときのような、高揚感があります。第七回公演。これからどんな軌跡が描かれていくのか。どんな舞台になっていくのか。乞うご期待。2013/09/28(土) ~ 2013/09/29(日) 荻窪小劇場さんにて、お待ちしております。corichページもできました。こちらからどうぞ。詳細は随時更新します。観たい!コメントをいただけたら、一同、でんぐりがえって喜びます。このところの熱帯夜にくらべると、このごろはすこし涼しくて、過ごしやすい気がします。みなさまもどうぞよい夜を。寝冷えにはくれぐれもご注意ください。藤長由佳
助ける 次回公演 2013年07月06日 0 「助ける」舞台の上には二人の男女。女の名前は、ヨルハといいました。男の名前はユウリといいました。─耳を澄ますと魚たちの足音がするかつて人間だったものたちの足音だ。あるとき、人々は皆魚になってしまった。雷を呼ぶ、牙を持った魚、あるとき、ひときわ大きな雷が鳴り、さばんと大きな波の音を合図に、魚たちは皆いっせいに自分の体を喰い始めた。腕を喰らい、足を喰らい、そのまま頭まで食い尽くして忽然と消失する、自分たちの牙によって。されど足音は続く・人々は自分が自分を捕食したことも気づかずに透明なまま、歩いている人々は皆透明な亡霊だ、亡霊が車を運転し、亡霊が電話口でクレームを言う・・・ヨルハは、目には見えない魚の足音が聞こえるといいました。私にも魚が何なのか、はっきりとは分かりません。けれど、そこにいないはずのものが、はっきりと「いる」と思うことがあって、それを魚と・私は呼んでいます。魚は、私たちの失ってしまった・もしくは失ったなにかの姿です。人々が自分たちの牙によって姿を消しても、世界は滞りなく回っていく東京の姿ですいなくなってしまったものは、二度と同じ場所には帰ってこない。それでも、私は今まで、これからもずっと、その「魚たち」にもう一度会いたいと思っていました。そしてなにも手を差し伸べられなかった自分、今も普通の生活を続けることしかできない自分がヨルハというひとりの女医の姿となりました。─昨日、私の友達も魚になったあっという間に自分を食べてしまった。 ・・・魚の目を近くで見たことはある?魚は瞬きをしないから、ガラスの目に灰が入っていつも目から涙を流している。でもそれは悲しいからじゃなく、目に入った異物を取り除こうとしているだけ・・・透き通ったガラスの体にはどのような恩恵もその代わりに害毒もない、すべての光が通り抜けていく、すべての音程がすり抜けていくけれど私にはそうは見えない・・・ 友達だったから。彼女が眠りに落ちた隙にだけ彼女の窓をたたきにくる男、ユウリ。ヨルハのまばたきのまぶたの世界の中には、魚はやってきません。魚は眠ることができないからです。ただ延々と繰り返し、ユウリが彼女の窓を叩き続ける夜がありました。─逃げないでください、あなたにしかできないのです。魚の声がする、瞬きのすぐ隣には魚の足音でいっぱいだ、魚たちは直ちに影響はない、直ちに被害はない、未来の子供にも安全であるというかりそめの指切りをした私たちの姿だ。かけがえのなかった一人ひとりと、交換できる世界のハザマの魚たちよもしもあなたがその友達に触れたいと思うなら、その友達はどこにでもいるだろう、もしもあなたが友達に会いたいと祈るなら、あなたの網膜の上に、服の香りに、彼女は昔から宿っているのだろうあなたがまなざしになる、あなたが耳を傾けるそうすれば、光は反射していく、音楽は反響していく過ぎ去ったものは、二度とは帰ってきません。同じ場所、同じ時間は二度とはやってこない。けれど、うしなわれないものがそれでもあると、私はずっと信じて生きたいのです。そうしていれば、私たちの思うことや、ただここにいることが、お互いを知らない私たちの心に届くと思うから。─私には力がありません。けれど、私は医者です。必ず助けます。何年かかっても、何十年、何百年かかっても。─私たちはいつか負けるかもしれないそれでもまた、必ず歩いていく、私たちにはこの両足がある魚に喰われて透明になってしまった私たちのガラスの義足が、未来永劫、私たちの強い助けとなってくれる・そしてそれが、うしなわれてしまったあなたがずっと近くにいてくれることの証拠になってくれる・そんな私たちの思いがあなたに少しでも届くならそして何もできないと悲しみにくれるあなたが、私たちの手があってそれだけで、誰かを助ける日がきっと来ると、背中を押すことができたらと、祈り続けています。約束をしよう。あなたを連れて行く。愛しているものを全て、遠く遠く未来まで。消えないようにして、私たちの亡霊よ。わたしがいる。わたしがそばにいる。私にはあなたのことが、はっきりと、見えている。
「まめ芝。」その伍参加作品 獣の仕業番外公演「助ける」無事、終演いたしました。 次回公演 2013年07月01日 0 こんにちは。大変ご無沙汰しております。小林龍二です。「まめ芝。」その伍参加作品 獣の仕業番外公演「助ける」無事、終演いたしました。お忙しいなか、お越しくださったお客様方、本当に、ありがとうございました。また、お越しいただけなくてもお越しになれない旨をご連絡くださった皆様、更に、「行きたいなあ」と少しでも思ってくださった皆様本当にありがとうございました。私がこのように久方ぶりに筆?を取りますのは、そろそろ、以前(と言ってももう数年前になりますが・・・)のように「眼科の眼圧プシュについて」という平々凡々とした日常の一事に留まらないこと、芝居などの話もできるのではないかと思ったためです。と申しましても、そんな芝居の話も含めた上での平々凡々な小林の日常綴り、になると思います。私は、元来おかしなもので、他人様が面白いと思うこととは多少ずれたような琴線を併せ持っており、それに触れたことの感動が溢れてしまったときは、以前の「眼圧プシュ」のようなことを書くやも知れません。どうか、その点につきましては「あぁ、小林の琴線臨界点が突破したんだな」と思っていただければ大変幸いに思います。口上が長くなってしまいました。お時間、ありがとうございます。改めて、「助ける」ご来場ありがとうございました。演じた私が言うのも恐縮なのですが、なんでしょうか、まだ語れないなあと思っています。と申しましても、私のものも真実ではありませんし、恐らく作家の立夏も、共演の手塚も、ある可能性という話になるのでは、と不躾ながら考えます。実際に稽古で作っていった段階から、板に立った感覚は変わります。この私、ユウリ(劇中には存在しなかった名前ですが)は、真実なに者なのだったのか、ヨルハ(手塚の役)にあった過去や未来、とは。それは、当然憶測でしかありません。これは、どの演劇にも当然あることではあるのですが、私は最近、富に終演後、考えてしまいます。答えが欲しい、という訳ではなく、あの場で生まれた内部感覚はなんだったのか。それを抱えていたいのです。過去にやってきた、獣の仕業、という中で生きてきた、もしかしたら今は魚になってしまったのか、それすら定かではない「彼ら」コナガレ汐(うしお)山崎一平寄る辺(よるべ)流吾(ロダリーゴ)ユウリ彼らは、それこそ「昨日すれちがった私たちの亡霊」なのかも知れない。「私がいる、私がそばにいる」と言ったのは、彼らかも知れないと思うのです。彼らのことはまだ、自分の中で鮮明に感覚というかたちですら残っている。「そこにいますか?」「わたしには、あなたのことが、はっきりと、見えている」今、つらつらと書いています。ただ私だけのものです。これが正かは分かりません。でも、正なのかも、分かりません。次回は、再演です。初めての、です。第一回「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」です。コナガレという男はここにいました。次回もこの男がいるのかはまだ分かりませんしかし、彼がいた世界そのものです。ようやく、ようやく「私は初めて魚(になった彼)の声を聞くことができる」のかも知れません。彼に助けられてきました。彼のことも助けます。次回、九月、荻窪小劇場にてお待ちしております。最後になりましたが、この場をお借りしまして、今回、まめ芝。その伍およびOne'sスタジオにて大変お世話になりました、「まめ芝。」その伍事務局として、公演前より様々な調整・統括をしてくださった斉藤可南子さんスタジオ劇場主で舞台、照明、音響など多岐に亘って運営頂き、音照操作もしてくださった劇団一の会の皆さん舞台監督に近い立ち位置で全体を統括頂き、場内整備も担ってくださった新直人さん制作面をすべてフォローして、円滑な公演運営をしてくださった石黒礼子さんカフェで美味しいお食事と温かい癒しをくださったいちカフェ チャコさんいちカフェ展示で小林と黄色いヒヨコを巡り合わせてくれたF.P.デザインの皆様本当に、本当にありがとうございました。心から感謝しております。今後とも、宜しくお願い致します。皆々様、再三になり恐縮ですが、ただただ、お伝え致します。本当にありがとうございました。獣の仕業 小林龍二
獣の仕業「助ける」終演、ありがとうございました! 次回公演 2013年07月01日 0 立夏です。本日6月30日、獣の仕業「助ける」終演となりました。ご来場いただいた皆様ならびにご声援下さった皆様、誠にありがとうございます。また、一緒に公演致しました他団体様にもこの場にて深く御礼申し上げます。今回は江古田の演劇祭「まめ芝。」に出演させていただきまして、獣としては初のショーケース公演となり、合同の公演とても楽しかったですし、勉強させていただきました。普段自分のところの公演しかしておりませんので、他の団体様と比べて自分たちの劇団の事がよりよく分かったり、今回自分はワンズスタジオの全てのステージで受付をお手伝いしたのですが、…受付の大変さも骨身にしみました。今まで自分は向いてないのでと避けて通ってきたのですが、やっぱり何事も克服していった方が、やっぱり・いいですよね。これからネットに頂いたお言葉などまとめていきたいなと思うのですが、早速次の公演の準備も、同時に始めていく事になりまして、今回はいつものように開放感一杯というわけでもなく、またまた気を引き締めていかなければなりませんね。今回ご来場いただいた皆様で、もし少しでも獣の仕業にご興味を持って頂けましたら、こちらのブログやHPをちょこっとのぞいてみて下さい。次の公演は9月末の土日です。ぜひまた劇場にて、皆様とお会いできる事・団員一同楽しみにしております。本公演に関してについてはまたここのブログでゆっくり後書き致します。本日は、とにもかくにも、感謝の気持ちでいっぱいです。それでは、ずっと撮り貯めていた写真を蔵出し致します。ネタバレに断りを入れているとは言え、イメージや結末が想像できてしまいそうな写真は、上演前・中の公開を控えておりましたので、本公演をご覧になった方は「あのシーンかな?」と、そして・ご覧頂けなかった方も今までご紹介した写真より少しイメージしやすくなっているかと思います。繰り返しになりますが、皆様誠にありがとうございます。芝居をはじめてもうすぐ10年、獣の仕業も5年目になりますが本当に、皆様のお力添えがあって自分たちが芝居を続けていられる事を切に強く思います。ありがとうございました。獣の仕業 主宰 立夏 拝