「まめ芝。」その伍参加作品 獣の仕業番外公演「助ける」無事、終演いたしました。 次回公演 2013年07月01日 0 こんにちは。大変ご無沙汰しております。小林龍二です。「まめ芝。」その伍参加作品 獣の仕業番外公演「助ける」無事、終演いたしました。お忙しいなか、お越しくださったお客様方、本当に、ありがとうございました。また、お越しいただけなくてもお越しになれない旨をご連絡くださった皆様、更に、「行きたいなあ」と少しでも思ってくださった皆様本当にありがとうございました。私がこのように久方ぶりに筆?を取りますのは、そろそろ、以前(と言ってももう数年前になりますが・・・)のように「眼科の眼圧プシュについて」という平々凡々とした日常の一事に留まらないこと、芝居などの話もできるのではないかと思ったためです。と申しましても、そんな芝居の話も含めた上での平々凡々な小林の日常綴り、になると思います。私は、元来おかしなもので、他人様が面白いと思うこととは多少ずれたような琴線を併せ持っており、それに触れたことの感動が溢れてしまったときは、以前の「眼圧プシュ」のようなことを書くやも知れません。どうか、その点につきましては「あぁ、小林の琴線臨界点が突破したんだな」と思っていただければ大変幸いに思います。口上が長くなってしまいました。お時間、ありがとうございます。改めて、「助ける」ご来場ありがとうございました。演じた私が言うのも恐縮なのですが、なんでしょうか、まだ語れないなあと思っています。と申しましても、私のものも真実ではありませんし、恐らく作家の立夏も、共演の手塚も、ある可能性という話になるのでは、と不躾ながら考えます。実際に稽古で作っていった段階から、板に立った感覚は変わります。この私、ユウリ(劇中には存在しなかった名前ですが)は、真実なに者なのだったのか、ヨルハ(手塚の役)にあった過去や未来、とは。それは、当然憶測でしかありません。これは、どの演劇にも当然あることではあるのですが、私は最近、富に終演後、考えてしまいます。答えが欲しい、という訳ではなく、あの場で生まれた内部感覚はなんだったのか。それを抱えていたいのです。過去にやってきた、獣の仕業、という中で生きてきた、もしかしたら今は魚になってしまったのか、それすら定かではない「彼ら」コナガレ汐(うしお)山崎一平寄る辺(よるべ)流吾(ロダリーゴ)ユウリ彼らは、それこそ「昨日すれちがった私たちの亡霊」なのかも知れない。「私がいる、私がそばにいる」と言ったのは、彼らかも知れないと思うのです。彼らのことはまだ、自分の中で鮮明に感覚というかたちですら残っている。「そこにいますか?」「わたしには、あなたのことが、はっきりと、見えている」今、つらつらと書いています。ただ私だけのものです。これが正かは分かりません。でも、正なのかも、分かりません。次回は、再演です。初めての、です。第一回「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」です。コナガレという男はここにいました。次回もこの男がいるのかはまだ分かりませんしかし、彼がいた世界そのものです。ようやく、ようやく「私は初めて魚(になった彼)の声を聞くことができる」のかも知れません。彼に助けられてきました。彼のことも助けます。次回、九月、荻窪小劇場にてお待ちしております。最後になりましたが、この場をお借りしまして、今回、まめ芝。その伍およびOne'sスタジオにて大変お世話になりました、「まめ芝。」その伍事務局として、公演前より様々な調整・統括をしてくださった斉藤可南子さんスタジオ劇場主で舞台、照明、音響など多岐に亘って運営頂き、音照操作もしてくださった劇団一の会の皆さん舞台監督に近い立ち位置で全体を統括頂き、場内整備も担ってくださった新直人さん制作面をすべてフォローして、円滑な公演運営をしてくださった石黒礼子さんカフェで美味しいお食事と温かい癒しをくださったいちカフェ チャコさんいちカフェ展示で小林と黄色いヒヨコを巡り合わせてくれたF.P.デザインの皆様本当に、本当にありがとうございました。心から感謝しております。今後とも、宜しくお願い致します。皆々様、再三になり恐縮ですが、ただただ、お伝え致します。本当にありがとうございました。獣の仕業 小林龍二 PR