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獣の仕業のしわざ

劇団獣の仕業のブログです。 日々の思うこと、 稽古場日誌など。

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新マスコット?

こんにちは。小林です。

今日は「例を見ないほど連投したもんねえ」と甘えた考えを持っていたのですが、なんだか気分が高揚していますので、しっぽりと更新しようと思います。

あ。誤解をなさらないでいただきたいのですが、私はブログの更新は結構楽しんでいるのです。だがしかし、南の方向から「小林は暇に違いない」という熱風の噂を聞きまして、「い、いかん!多忙なふりをしなくては!」と思い、更新を遠慮しようかなどと思っていただけです!ぎゃははー。しかしやはり更新してまいります。

はっ!…獣の団員という誇りを持って更新していきますね、何が「ぎゃははー」でしょう、自分の中にいるもう一人のビリーバンバンが芽吹いてしまいました。自重せねばです(?)

はてさて、今日は獣のメンバーで今年度の活動について打ち合わせを行いました。またこちらのHPにてお知らせなど行っていこうと思いますので、乞うご期待でございます。ありがとうございます。


今日は本当に短いですが、もう睡魔という悪魔が私の中のビリーバンバンを蝕んでおります。しかし私の中のビリーバンバンは強いです、その強さ相まって、とうとう、とうとう今日、この世界へ飛び出しました。さあ、新しいマスコットの登場です!

その名も「こばやしchan」です!



立夏作です。私の中に立夏の作品がいたのですね。
これは深い話でございます。

一応「こばやしchan」と名づけられましたが、さすがは私の分身、聞き分けがありません!
「どうもヌン。おで『こばぬん』だヌン。」

出たー!ゴーマニズム!さすがは小林!

「獣ちゃん?あいつはおでのコピーだヌン。だまされちゃあいけないヌン。ちっちっち。」

むかつきますねー!

「獣ちゃんのライバルはエビフライ?おではトンカツだヌン。…ヌ?ヌンヌヌーン♪」

おっと。ご機嫌ですこばぬん。ではここで、頼まれてもいないのに、こばぬんは歌います。
メロディーは「まんが日本昔話」のオープニング(ぼうや~よいこだ…)です。

「けもの~よいこだヌンヌしな~ヌーヌヌヌヌヌヌンーヌンー♪」

以上です!これは期待ができますね、愛されるかどうかは分かりませんが、こんなやつも生息してしまったのですね。獣の仕業、恐るべしです。きもキャラの誕生です。
次はいつ出てくるのか、本当に正式なマスコットになったのか分かりません。
気まぐれんでありますゆえ!よかったですね、もう見ない方がいいでしょう(笑)

では、おやすみなさいまし!


小林
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獣成るまで②

こんにちは。小林です。

連投企画が続いております。
さて、世はオリンピックによって彩られる、かと思いきや、今大会はなかなか盛り上がりにかけているような印象を受けます。選手の方々からしたら日本の期待という余りにも大きな期待を背負っての競技参加、わたしには耐えられません。その期待に応えて戦い続けている、とりわけ浅田真央選手はかくも強いなあと思って仕方がありません。
今回は、フィギュアもそうですが、ジャンプ女子やハーフチューブでもメダルの期待が凄いわけです。明日の朝になりましたら結果が出ていることでしょう。

さて、個人的にはオリンピックについては最近ようやくまともに観られてきたかなと思うわけです。子どもの頃は、特別番組などが構成されて観たい番組が観られず、「オリンピックめ!」と思ってしまっていたのです。なんという非国民でしょう。世が世なら憲兵隊に連れ去られて拷問を受けていたことでしょう、そして「ごめんなさい!もう世界名作劇場を観たいなんて思いません」と泣きながら、家なき子レミの絵を踏まされていたことでしょう。くすん、クシャっと。

そうです、かつての日曜の午後6時から午後8時までは私にとっては天国のような時間でした。フジテレビでは午後6時の「ちびまる子」を皮切りに「サザエさん」、「キテレツ大百科」、「世界名作劇場」と、2時間もの間、至福の時間を過ごしていたのです。特に「世界名作劇場」については「七つの海のティコ」、「ロミオの青い空」、「名犬ラッシー」、そして最終作の「家なき子レミ」と放映され、毎回録画し、涙を流しながら観ていたものです。なんでしょう、観ていると心がきりきりと軋むような切なさを感じていたのでしょう。かたや苦労を重ねてマイナスからゼロという幸福を得るモノガタリの数々を前に、私はクンクン泣きながらみかんでも食べながらコタツにぬくぬくしながら観ていたものですから、「こんな自分は物語の主人公にはなれないなあ」と思いながら、鼻くそをほじりながら過ごしていたのですね、子ども時代を。当時、それが憲兵隊にバレたなら、きっと穴蔵に放り込まれ、滝行以外は外出も許されず、同様にクンクン泣いていたことでしょう。平和な国に生まれてよかったと思わざるをえません。


さてさて、昨日は「獣成るまで」と題して学生の頃から立ち上げまでを綴ってきました。
どちらかというとスタッフ関係のことが多くなっていましたので、芝居関係のことも書いていきたいと思います。

さて、芝居について、ですが、当時の劇研(明治学院大学演劇研究部)では、基礎をやっていませんでした。今から思うと、ちょっと信じられないなあと思います。入部当初、先輩から「発声とはこうやるのです」と教えてもらい、「んーあー」とやり、また、さながら応援団のように外でもやったのですが、それはその時だけで、実際の稽古が始まると、ストレッチも発声も行わないまま、稽古をやっていたのです。あるいはジャージに着替えずに、ということもありました。

あ。別に先輩たちのことを批判しているつもりは全くありません。自分自身もそうしていたのですから、その状態でできる芝居をつくっていったのだと思っています。
ちなみに明学には演劇関係の団体が2つありました。1つは戸塚を根城にする私達の劇研で、そしてもう一つは白金を根城とする「明学小劇場」です。かつては1つの団体だったようですが、どうやら劇研が徐々にあらぬ方向に進んでいった際、「やってられぬ!」ということで劇研から抜け出して、毒されない芝居を追及していったのが明学小劇場であった、という逸話を聞いたことがあります。そして、その明学小劇場に所属していたのが、我らが雑賀玲衣でした。そうです、獣の仕業は明学の演劇関係の団体から、それぞれ構成された明学公認の団体だったのです!…うそです!ちょっと大きなことを言いたくなってしまいました、公認ではありません!ひっそりとやっております!ただ、個人的にもつながらいのある大学のご関係者の方は今でも観に来ていただいているのです。それは、誠に嬉しいかぎりですね。はい。


さてさて、いつもどおり話が逸れてしまいましたね。
そんなアップも行わないまま稽古をやるスタイルは2年くらい続いたと思います。ですが、やがて「正しい姿」で稽古をやるようになったのです。そのスタイルへと変えたのが立夏でした。立夏はある団体へ所属して学んだのだと思います。「劇研やばくね?ww」と。そう映ったことでしょう。かくいう私も、ちゃんとしたアップなどしていなかったので、「アップ?やってるよー」足首グネグネ。「はい、いよー!」この程度でした。信じられません、芝居を舐めているとしか思えません。ごめんなさいバッコスさん。

かくして、体系化などに発展させるまでには至ってはいないかも知れませんが、それを後輩に伝え、さらに後輩へと伝わっているのではないかと信じております。


さて、劇研のアップはそんな感じでしたが、獣を立ち上げてからは、当然しっかりとやります、と当たり前のことを言っています。そうです、今では当たり前のこと、というのが学生の頃はあまりやっていなかった、そして自分は「んーあー」なんて恥ずかしいよぉという人間だったのです。それがいまや「アップしないと」症候群になるという、このパラドクス。人は変わります。


ちなみに、もしかしたら私達の芝居をご覧になっている方々は気になるかも知れませんが、私達の稽古はオープンですので、稽古をご覧になりたい、という場合にはご遠慮なくご連絡くださいまし。

さて、現在やっているアップですが、もちろんストレッチや発声など行います。それが全員でやることもあれば各人でやることなど様々です。それは、その場の参加メンバーや空気、によって変わります。そして、あらかたアップを行ったあとに、全員で共通のメソッドをやります。「ニョッキ」というものと「ライン」というものです。

どちらも固有の名称だと思いますが、まず「ニョッキ」というのは、下半身は蹲踞~立身を繰り返し、上体は腰を立てたまま腕を…ニョキニョキさせます(笑)すいません分かりませんよね、腕を広げて閉じて、ということをします。これを体内に大気を取り込むように、吸う吐くを、動きに合わせて行います。15分間ずっとやります。このとき、下半身については重心は基本的に下にかけ続けます。汗が滴ります。我らが田澤は、足元に池をつくります。そのうえを歩くと滑り、数多の戦士達が倒されました、トラップですね。

続いて「ライン」ですが、これはマクベスの台詞を使います。「明日、また明日また明日と時は小刻みな足取りで一日一日を…」というフレーズですね。長くもなく短くもないですがブレスの位置は全員同じにします。このフレーズは動きの、あるタイミングで発します。動きは、簡潔に言うと、「バチーン」「スッ」「プル」「シャボーン」などです。難解でしょう(笑)ちょっと説明が難しいのですが、連続性のある動きが用意され、ある地点でストップして台詞を発します。動きは、片足で立ったり、アキレス腱を伸ばすような姿勢になったり、蹲踞の姿勢になったり、です。台詞はその際、子音と息を3段階でコントロールして発します。重心やバランスと発声と発話のレベルをコントロールするというものですね。

この2点をベースメソッドにして、稽古に入るというのが常です。たまにこれに加えて何かやることもあります。

獣は、このようにして稽古をけもけも進めているのであります。


ふふふ。なんてマジメなことを書いたのでしょうか。株はウナギのぼりですね。
なお、こちらに紹介したメソッドも、これから変わっていくかもしれません。
とにもかくにも、未だ発展途上です。まだまだ、頑張ってまいりたいと思います。


それでは、次の更新はいつになるかちょっと分かりませんが、けもけもやっていきたいと思います。

ありがとうございました。


小林

獣成るまで

こんにちは。小林です。

さて、連投企画が始まりました。
しかしどこまで続くか分かりませんが、とにかくのらりくらりと更新していきたいと思います。

今日は獣の仕業の「昔」について綴っていきたいと思います。
「赤裸々に告白!」というほどではありませんが、私たちの昔、とりわけ許可などがいらない私の昔のことを書いていきます。ただ「昔」と言っても、生まれは、とか、幼稚園の頃のあだ名はバンブーでした、とか、そのような昔ではなく、これはひと時前の昔。10年になりますか。大学に入学し、劇団を立ち上げるまで?のように、トトトトトっと書いていきます。

そういえばそうです。劇団以前の状態はあまり書いていませんでした。というのも、やはりこれは劇団のブログであるから、ですね。大学近くの定食屋の話などはしません。もっぱら、劇団以前の部活、でのお話になるようです。

でぱ。始まります。


「明治学院大学演劇研究部」。ここが私たちの古巣であり、メンバーの出会った場所です。
ちなみに、世では文系の中でも明治大学と勘違いされることが多い、明治学院大学。しかし個人的には明治学院大学が好きなんですね。一時期流行ったタワーキャンパスなど作らず、白金の片隅に佇む風情、そして戸塚にあるのに「横浜」と称すキャンパス。戸塚のキャンパスは広い。中央ほどではないのですが、山の上にあるということで、広く、まるで時間が止まっているようなキャンパスライフを過ごすことができたのです。ちなみに明学の戸塚では「登校」ではなく「登山」と呼んでいたのも、一つの愛する文化です。「登山」のルートは二つありました。バス通りをエッチラオッチラ登り、バスに乗った学生らに「やーい貧乏もの」と言われているんじゃないかと錯覚するコースと、デイリーヤマザキの前にある細い道をクネクネ登る途中に畑が広がるも女子大生と会ってドキッとするコースです。私はどちらかと言うと、「貧乏もの」と言われているような錯覚コースを好んで登っていました。そちらの方が景色がよかったのと、人が少ないのがその理由でした。ただ無心に、音楽を聴きながら一歩。一歩。途中でサイダーでも買ってブラブラ登山を楽しんだものです。

大学にはたまにリスがいました。実際の山でしか会えないと思っていた山にリス。個人的には、ここは陸の孤島であると同時に最後のオアシスではないかと思った次第です。そうです、そして時間、時間が止まっていました。流れがまったく違うのです。そんな小林は、日がな一日、部室にしけ込み、舞台を作っていたわけですね。

そうです、ようやく話が本線に戻りましたが、私は舞台美術を担当していたのです。
私たちの所属していた「明治学院大学演劇研究部(以下、劇研)」は当時は人が多くいたわけではなく、ひどいときには10人いるかいないかの状況にもなったものです。そんな中、役者であろうともスタッフは担わなければならず、むしろスタッフをやって役者をやらない方が自然で、役者だけ、というのは当時では難しかったんです。
と。「なんで俺がスタッフを!?」などと思ったことはなく、逆にスタッフは好きでした。パネルを作ったり、箱を作ったり、罫書きもベニヤ割りもペンキ塗りも、裁断も、恐らく当代一の腕前になっていたことと思います。ふふふ。やめてください、ただの学生ですって(照)

さて、そんな風に皆がスタッフに携わっていました。
藤長は小道具(これは現在でも、衣装と兼務のかたちで続けています。頼りになりますね)
手塚は照明と音響(とりわけ照明については右に出るものはいなかったです。知識量や度胸とかww)
田澤はすべてのスタッフを経験したうえで舞台監督(ドラクエ6の勇者そのものです)
凜子は音響(が主だったと思います。)
立夏は宣伝美術や照明など、田澤と同じようにすべてのスタッフをあらかた経験したうえで作演となったのです。

ちなみに制作が不在ですが、部活では大学の施設利用についての折衝で「事務」という役職があり、それが現在の制作にあたり、こちらは手塚が担当してくれていたのです。そして劇団でも、制作として、その敏腕をバシバシ発揮して、みんなで「んーあーー」ができるのですね。

と、このような面々でしたので、「俺たちがいれば公演は打てる!!」という気概がすごかったんですね。ど根性ですね、ゆとり世代になるかどうかの私たちですね。しかし私は完全にゆとっていたんですね。同期が部の主将などになった後、私がその次の代の主将になったんですから。


ええ、ある方が仰るには「演劇人の鑑だ!」と言っていました。
ええ、恥じ入るばかりです。
ええ、両親には頭が上がりません。
いえ、上がっても仕方がないので、静かに余暇を過ごしているのみです。


ZZZZZZzzzzzzzzzzz!!!!!!!



おはようございます!
よく寝たので何を書きたかったのか忘れてしまいましたが、そのような環境で獣の骨子が生まれたわけです。ここから、学生生活最後の、劇研公演を行いました。所謂、「卒業公演」というものです。演目は「春に就いて」。立夏のオリジナル作品で、場所は吉祥寺櫂スタジオでした。
その頃には劇研の人数は10どころか20にも30にもなるような大人数に膨らんでいたと思います。しかし、それでもスタッフはやりたい私たち、これが集大成だとバコバコとスタッフ作業にも、芝居にも、勤しんだものです。小生が担当した舞台装置は、稼働舞台でした。木材での。未だに思い出すと、ふふふと思ってしまいます。でですね、その稼働舞台は対になっていて、途中でガッチャンコするんですね。勢いが強かったんですね。ガッチャンコするところで勢いあまり、壁に掛けた棚のうえの道具が
一気にバラバラ落ちましてね。心の中で「ぎにゃあー!」って叫んだものです。

哀れ。しかしそんな事故もすべてどうでもよくなる程、いい公演でした。
道具も光も音も、本当に集大成だったなあ、ああ、これで気持ちよく卒業を…「ぎにゃあー!」できなかったんですね。


それほど、私にとってもメンバーにとっても、劇研時代の経験は忘れがたく、立夏も書いていることですが、その公演が終わってしばらくしてから、「獣の仕業」が生まれたのです。ファミレスのナプキンに、獣ちゃんが命を吹きこまれたのです。

その後、第一回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」を劇研の後輩らも誘って上演し、そして、その公演を観に来てくれた出演者の後輩・雑賀玲衣が新しい風として獣に舞い込んできました。その旋風、凄まじいほどでした。その旋風、巻き込まれ…たくありません!(おや?また鼻がジョニーデップのように伸び伸び太…)

第二回は小林の作演「女は鎖、男は愛を潰す」で雑賀が初出演し、そして舞台美術としての弟子?後輩も出演して、また一歩進んだ獣ちゃん。次は雷魚の背に乗り、劇研から一歩飛び出したように海へ、暗闇坂へ、竜胆の花が咲いているのを尻目に、魚は淵の底から飛龍となって、昭和の世界に舞い込みます。周りを見れば流石は昭和という昔、劇研の面々が大勢いるではないか、と。どうやら、こうした魚や龍に姿を移した「劇研」という乗り物は、この時、一旦下りたのだと思います。そうして、2012年の3月11日、私たちは自分の足で、寄る辺なく歩き出したのだろうと思います。せかいでいちばんきれいなもの「today」と題される世界を踏みしめるのでした。

魚に乗っていたとき聞こえたでしょう、「白」「黒」「牙の音」、騎馬、に乗る将軍、オセロ、あなた、は初めての乗り物でない異形、鬼、鬼、鬼、角の生えた鬼となり、緑の目玉の夜の淵に光が入って、月が高く高く、登って落ちていく落ちていったのがまさに昨秋。9月のことでした。


秋が終わり、冬のいま、獣はどのように毛色が変わるのか、どのような衣をまとうのでしょうか。
それは、誰にも分かりません。獣ちゃんなら知っているでしょう。

しかし、獣ちゃんは「ヌンヌン」しか言えません。
困ったものです。



ヌンヌン



小林でした。



舞台芸術創造期間SAI③

こんにちは。小林です。

東京に限らず全国的に凄い雪でしたね。そんな昨日。私は冬眠する熊が如く、部屋にてぬくぬく過ごしておりました。なんという幸せ、外を見ますると、風、雪、その音。「くわばらくわばら」と、ぬくぬくします。嗚呼。温かさよ、どうか私を離さないでと願うのです。
風が吹いて、雪が風に流される音を始めて聞いたように思います。ふわーんって言うんですね。雪が風に乗ると。いえいえ、そんな甘いものではありませんでしたね。なにが、ふわーん、ゆるふわーんでしょう。しかしそう聞こえたのですから、どうぞご容赦くださいまし。

そして本日になると晴れ渡り、気温も上がりびしょびしょの道、道、道でした。雪かきをザクザクやり、雪を掻いたところに子ども達が無垢な笑顔でまた雪を載せていく。嗚呼。このあらたかな感情よ、どうか費えませぬよう。転ぶなよと思いながら見送ったものです。雪のせる未来たちを。

さてさて、他団体紹介を初めてこの場で行っております。
その第一弾「舞台芸術創造機関SAI」です。果たして、この紹介企画が今後も続くかは、いと不明です。私自身、自分が明日どこでナニをしているのか定かではありません。ただ、足元を滑らせないよう祈るのみです。それでは、アマゾンで買いましたDJ OKAWARIを聴きながら更新してまいります。SAIに合わない曲調です。困ります。
しかし、そのような些細なことはこちらに置いておいて始めたいと思います。


さて、今回の出演に至った経緯は、獣の仕業忘年会2013がきっかけです。
獣の仕業では、2012年の年末から、それまでお世話になったスタッフの皆様や役者の皆さんを呼んで「獣が無事に年を越します!おかげさまです!ありがとうございます!」として忘年会をやるのです。お世話になったスタッフの皆様と言っても、基本的には音響の阿部さんに照明の寺田さん、受付を特に担当して下さっている菊地さんに寺村さんは不動の背番号10番です。
ちなみに、この会には私の特製冊子が特典として付いてきます。出席される皆様の主観的な紹介を掲載するとともに、今回は我らが愛するマスコット獣chanのマンガを取り入れました。ちょっと骨を折る作業ですが、今年については頼まれてもいないのに作成し、好評をいただくのです。「やばい小林ワールド全開!」と。ワールドの住人なので、どこがそんなに楽しいのか分からないときもありますが、みんなが喜んでくれるので僕も嬉しいです、と、小学生の作文のような言葉を書いてみました。この冊子の一部は、いつかこの場で公開したいと思っています。まあ、マンガの部分ですが・・・笑

話がそれてしまいましたが、その忘年会に「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌(再演)」に出演した、獣への客演一等賞受賞者・水川さんが開口一番、私に「龍二さんSAI出ないんですか!?」と言ってくれたのです。「アンテナ張ってなかった!」と小林。水川氏は小林をあの手この手で落としていったのです。場所は歌舞伎町でした。やはー!というわけで小林はコロっと落ちたのです。(…歌舞伎町で飲んでいたことは真実ですが、何もやましいことはありませんでした。やましいことがあったらいいななどと考えたことも一切ありません。…すいません鼻が伸びてきました)

そして、その忘年会の後に倉垣さんへ「ゾンビ足りてます?」というメールを送りました。今回はゾンビを公募しているようです。集まれゾンビのハローワーク!そして、「ということは!?」という返信をもらい、年末の昼、ゾンビ就活のため、渋谷のバーにて二人でカレーやタコスを食べてお話をして、出演を決めたのでした。芝居の話などをしながらも、あの場の二人は「ここの店は安くてうまい。コスパがいい」という共通認識を得たのです。ゾンビは仕事を得たのです。南無三。

かくして、まめ芝その陸。「車曳~葬~」に向けて1月の14日から小林は合流したのです。
物凄い歓迎ぶりでした。黄色い歓声が沸き上がり、この世界は自分のものであると錯覚したほどです。アホ極まれりです。その場にはもちろんの水川氏、口マグロ以来の中村弥生さん、そして舞台芸術創造機関SAI所属・伝説の「遠足」で知り合った蓮田蓮氏と口マグロで最初に出会った市川五月氏、さらに劇団EgHOST主宰の西荻小虎というアクロバッター俳優。そして初めてお会いした皆さん。今まで自分が演ったり観たりして出会って来た方々と新しく出会う方々とで、やけに高揚したのを覚えています。

かくして自分に残された稽古場での稽古時間は8時間もなかったような中で、今回は明確な台詞はなくコロス(アンサンブル)としての出演でした。役はゾンビでした。周りはアクロバッターもバレエ巧者がいる中で、自分の動きはどう構成するのか、ただ気持ち悪い動きはできてもゾンビについて考えなくてはなりません。ゾンビはどういうわけか死者であるのに、筋肉がある、しかし明確な細部に筋肉の使い方というよりも瞬発性が特徴だと考えたわけです。素早い動き、というよりも意にも止めない状態で飛び出すような進行力がゾンビっぽいのではないかと。そして、その動きに何か色を与える際に、ING進行形で学んだアイソレーションや、まんま「ゾンビ」という動きをモチーフにしたり、そして獣で培った重心や指の心裡、子音を立てる発声から生まれる息のコントロールによる呻き声など活用したように思います。
すいません、「今思うと」という部分が多くありますが、そんな風に培ってきたものを出していったように思います。ちなみに、ご存知かとは思いますが、獣の仕業も番外公演としてまめ芝その伍。に参加しましたが、その「助ける」の中で小林がゾンビっぽくなったといううわさを聞きましたが、まさか同じイベント・同じ劇場(One's Studio)で意図したゾンビをやるとは思わなかったですね。奇縁、ですね。

ちょうど先週の土日に公演を行いました。
もうここまで来ましたら細かい話はアレですが、届くところによると好評をいただいたようで満足至極です。ありがとうございました。


さて、なんだか個人的な感想文になっていますが、自分はSAIに出る理由は、今回気づいたのですが、「楽しそう」という原初的な理由で出ています。ただ、実際に楽しむだけではもったいなく、役、のそうですが自分がつくるもので共鳴させて、それがかたちになったり、逆にかたちにしてもらったりなどが楽しい…のでしょうか。そして別の場所にいっても、こうして獣の仕業という帰るべき場所に「ただいま」と戻れることは個人的にも凄く幸せなんだと思っています。役者のあり方は様々です。所属しても所属をしていなくても、強くなくてはならないんだろうなと思っています。自分が強いかは分かりません。ただ、獣の仕業の小林として出るのですから、泥を塗らないように、しっかりしようと、獣を好いてくださっている方々、メンバーにとっても誠実なまま板の上に立ちたいと、こうして戻って、くだらないことを綴ったりもしていきたいと思うのです。早く獣の活動を始めたい、と思えるのは、こうした客演した機会も影響していることと思います。ただ、そうして思わせてくれる団体、小林の感性のようなものをチクッと刺激される団体さんにはまた出たいものです。


(真ん中の踏ん反り返っているのが倉垣氏)
(小林は右下。ゾンビたちの集団です。困ったもんです)

ちなみにこちらに小林が紹介されております。
やったね、全国ネットです!もしよろしければご覧下さい。
http://ameblo.jp/sai-kuragaki/entry-11765005634.html
「倉垣ノ記」

最後は雪の話も含めて、長文になってしまいましたね。
それでは、舞台芸術創造機関SAIの紹介はこんなところにさせていただきます。


次はどのようなことを更新するのでしょうか。
このテンションのまましばらくは真面目なことを書いていければ小林の株が上がると思いますので、頑張ってまいります。

それでは、長々とありがとうございました。



ただいま、です。

小林




最後の最後に、小林のゾンビ設定(自作)です。
※ある特定の場所・時間においては実在していたかも知れません

名前:真屋兼人
出身地:宮城県名取市
血液型:O型
最後の職業:無職
性格:小心者。夢見がち。マイペース。人生なめてる。プライド高い。楽しいことが好き。どこか快楽主義者?いぬが好き。
死因:頭部打撲。
最期:宮城から故郷に錦を飾る、というより、かつての地元では引っ込み思案で高校のクラスでも浮いていて、彼らを見返すために東京の某文系大学に進学するも、生来のマイペースさから就活に失敗し、台東区のボロアパートで暮らしていた。夏暑く冬寒い部屋。家の窓からは荒川なんか見えて、西日が畳をオレンジに染める光が、あまりにも貧乏臭くていやだった。友人の渡辺大介の実家が玉子屋をやっていて、そこで日暮しアルバイトをしてなんとか生きていたものの、ある日、魔が差して店の玉子を勝手に家に持ち帰ったことがバレた年末、あえなくクビに。まずいことをしたなあ、と思いつつ、郷里に帰るかなどと考えてみるも、まだこの街には夢も希望もあるだろうと信じ、じゃがいもをふかした。しかし、考えながらふかしたため芽を取るのを忘れ、バターを塗ってパクパク。「うっ!」体が痺れた、まずい!と、のそのそ這って一階のピンク電話に向かったが、そこで階段落ち。ガンガンガン。お亡くなりに…。やがて、大家の旦那が来るも、真屋の死を確認すると、アパートの人気が落ちてしまうと思い、庭に土葬。合掌。享年28歳。大家は死体遺棄容疑で逮捕。実刑判決が言い渡されるも、これを不服として過日控訴をした。しかし棄却されて実刑確定。当アパートは取り壊された。解体作業中、庭に縦長の穴が見つかる。中には幸運の証と呼ばれている兎の尻尾が「ひとつ」。赤し。


真屋くん、おつかれ。

舞台芸術創造機関SAI②

こんにちは。いつもの小林です。

今回は連作もの?ですので、ジャンジャカ連投してみます。
さて、2011年の夏に舞台芸術創造機関SAIと初絡みがあり、それからはぽややややああああんっと次の春までスパコーンと空いた訳です。
獣では、第四回の「飛龍伝」、第五回の「せかいでいちばんきれいなもの」を上演していった、そんな過ぎた春、倉垣さんより「出まへんか?」とお誘いいただいたわけでございます。当時のわたしは「お誘いいただいた!どんどんやろう」と思い、劇団を立ち上げてからは2団体目の客演を決めたのでした。1団体目は、2010年の12月に出演した劇団ING進行形だったのです。こちらの話は、またいずれしようかなと、今思いました。


さて、そんな訳でpit/北区域にて夏のイベント(演劇)に参加したのです。タイトルは「ROMANTIC+GROTESQUE」、略してロマグロですね。文字にすると「くちマグロ」という、なんとも川上弘美ばりに神を見ますね。さて、その口マグロで私は「変態」というジャンルの役をいただき、飛び回り暴れまわり、獣ではしないメイクをもして参加したのです。当時は「おおお、こんな風にしてやるのか!ジーザス!」と当初は戸惑いと新鮮さが混同した心持ちのなか、観に来てくれた団員に「近くでは見るに難しいな」と言われたものです、しかしそれにひるんでいては変態はやってられません!ええ、ええ、近づいてやりました。昔、教師が言っていた「人の嫌がることを率先してやりましょう」を実践する優等生、どうも!小林です!ドドカーン!

ちなみに、
ここだけの話ですが、最初の顔合わせみたいな飲み会があったとき、それが今は笑い話なのですが、集合場所に行ったら鼻や口にピアスを開けている方々がいまして、別の団体かと思ったら参加者だと分かり「や、やべえ!喰われる!」と思いながら、傍目一般人の僕は、喰われるにしても、せめてカカトの皮くらいにしてもらおうとそちらに足を投げ出していたのですね。しかし獣としては負けてられません!そして、ガツンと聞いてみました。


「みそ汁、飲めます?ぴゅーってなりますよね。」と。



勝った。


それからは本番や稽古後には結構飲みに行くようになったのです。
いやあ、今思うと、ネタの宝庫でしたね、口マグロ。


そしてそして、その後、倉垣さんに獣の第六回公演「Othello the Shakespear」に出演していただき、獣全般と交友が生まれたのでした。ちなみに、ダイジェスト版のような感じですが、YOUTUBEに動画がUPしてありますので、もしよろしければご覧くださいまなし。
http://www.youtube.com/watch?v=8jrO_DoizYs


その後、昨年の夏に行われたSAIの伝説的なイベント「真夏の遠足」へ参加し、今回の出演へと至ったのです。

ちょっと今日は簡単ですが、以上でございます。
恐らく次回でラストです。だがしかし、更新は週末になるかな、と思います。

更新をしましたら、またお知らせします。

それでは。寒さに負けないように、ですね。

小林