私的追想:獣の軌跡2 その他 2013年07月11日 0 こんにちは。この暑さいつまで続くのでしょうか。月曜日くらいまではただの台風一過みたいなものかと思っていたのですが、気温の下がる気配なし。昨日なんて、山梨県で39.2を観測し、風呂じゃん。山梨県風呂になっちゃったじゃん、と思ったものです。昨日に続き、「私的追想:獣の軌跡2」です。しかし「獣の軌跡」とは、なんて堅苦しい感じなのでしょう、更新した後に思ったものです。ですので、「獣のあゆみ」に変更します。ただし、この文章内のみでのお話ですね。ところで、獣の仕業には「獣ちゃん」というものがおります。このHPに入る際「ENTER!」と言っているものです。立夏が表の代表だとすると、獣ちゃんは裏の代表です。公演が終わったあとには、「旅行に行こうヌン!自分はお留守番をするヌン!みんなで楽しんできてヌン!」と言って、我らを旅行へ送り出すのです。自分はHPを閲覧される皆様のために、玄関でいつも待っています。しかし獣ちゃんはただの「いいやつ」ではないのです。ある時は「リア王爆発ヌン!」という純粋であるが故に、悪意のある発言をすることも、また「ライバルはエビフライ!」という反骨精神も持っており、「蕎麦湯をゴキュゴキュ飲む」偏食ぶり。いまだに掴みきれないものの、かわいいやつだな、いえかわいい方でいらっしゃる、なんて思うのです。獣ちゃんの言葉はツイッターでしか読めません。もしツイッターをされている方は、[@kmn_chan_bot]をフォロー頂ければ、めくるめくシュールワールドへご案内。公演情報などもささやかに、つ・ぼやきます。さて、昨日の続きをしめやかに再開します。第四回公演は「せかいでいちばんきれいなもの」でした。今はつまらない駐車場になってしまった、今はなき神楽坂die pratze。2012年3月10日~3月11日という日程でした。偶然などが重なり、東日本大震災からちょうど1年というタイミングでの作品です。私は大震災が発生したその日、津波や火災などの映像を見て、高校生の時に見た9.11と同様、「映画ではないか」と思うくらい、私の知る「現実」以上の「現実」が目の前には映し出されていたのです。2014年の1月、個人的に気仙沼に行きました。ただ茫漠とした風景が広がっていて、「何も分からなくってしまった」と思ったものです。2011年3月11日、実際に被災をされた方々以外には到底分からない「結果」、それしかそこにはありませんでした。ただ、そんな町の中、流された家の土台の上に「GROUND ZERO」の文字それとともに漁業用のガラスの浮き球が無数に配置されている場所がありました。地元の方、そこに住んでいた方が作ったのかは分かりません。ガラスの浮き球は、東北一月のしんとした太陽の光を受け、まるで陽光を受けた海が踊って光を届けるのと同じく、まっすぐに輝く光を放っていたことは未だに忘れられません。私はこの震災が起きて、「こうすべきだ」というものこそ不確かな事象・風潮であることを知り、「頑張ろう」「もう頑張っているって」「生きていて嬉しい」「生き残って申し訳ない」たくさんの考え・言葉を知りました。私自身は自分の無力さをただただ知ったのみです。「私には力がありません」そのままに。答えはどこにもありません、自分で感じたもの、気付いたもの、知ったものが、答えなのだと考えます。「せかいでいちばんきれいなもの」は、自然にそうなったかのように、作家は「物語」をなくしました。あたかも先述の「自分で感じたもの、気付いたもの、知ったものが、答えなのだ」と示すかのように(あくまで「私的追想」です)。その物語自体は、もちろん芝居の根底に流れてはいます。ただこの作品は、完全に分解されていました。一本の物語の構成を置換するに留まらず、物語のエッセンスを抽出して、そこから見えたもの生まれたものが板の上に乗ったのだと思います。昨日から続く「芝居のスタイル」についての話としては、「飛龍伝」をほぼ踏襲していたように思います。ただ、意外にも「雷魚より分かり易かった」というご意見を頂いたことは、個人的にも大変興味深いものでした。なんだか神妙な心持ちになっております。この「私的追想」は2回で終わらせようと思ったのですが、残る「オセロ」はまた次回へと持ち越します。またまた、最後までお読みくださいましてありがとうございました。小林龍二 PR