私的追想:獣の軌跡1 その他 2013年07月10日 0 こんにちは。小林龍二です。本日もじりじりとした暑さに見舞われている東京から発信です。先週に幕を引きました「まめ芝。その伍」から、早1週間が過ぎました。早いもので、今週末から次回の稽古が始まります。もう既出のこととなりますが、次回は初の再演です。再演される作品は、第一回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」です。思えば、獣の仕業の芝居は、第一回から現在まで変貌してきたように思います。第一回当時は、pit北/区域にて行い、一部に現在のような「決め」の動きがあった以外は、ほぼストレートプレイでした。個人的な話で、また恥ずかしいことでもありますが、当時は発話性も身体性も今ほど意識しておらず、「無防備」なまま板に上がっていたのではないかと思います。その後、劇団とは何か、そしてまた「所属=団員」とはどういうものなのか、役者とはどうあるべきなのかを、学び知る機会に恵まれました。その経験が現在まで繋がっているのと考えます。獣の仕業が現在のスタイルを持つ契機と相成ったのは第三回公演「雷魚、青街灯、暗闇坂、あるいはうしなわれたものたち」です。この作品は、当時「もう観たくない、でも、また観てみたい…かな」というツンデレめいたご感想を頂いたものです。恐らく獣史上、一番の「悪夢」作品でした、きっとこの作品は。生き地獄そのもの、しかしその中で新しく生まれたものが、現在も続く「熱」、のようなものです。スピード感があり、またさらには動き回り、言葉と感情と空的身体がぶつかり合うような、そんな作品だったのではないでしょうか。同時に、このとき、獣の仕業特長の「ハケなし」が初めて生まれたのです。演出がこの「ハケなし」をさらに突き詰めた?のが、次に続く第三回公演「飛龍伝」です。これは、「雷魚~」を西荻窪がざびぃさんで公演させていただいた後、「つかこうへいの演劇祭をやりますの!ぜひ獣さん!」という大変有り難いお言葉を頂戴し、すすっと参加させて頂いたのがきっかけでした。「ひとつき、たっぷり、つかこうへい」この時、「ハケなし」は「入りハケなし」に進化?したのです。舞台を杉板のパネルで完全に覆い尽くし、ハケ口という存在・匂いをも完全にぶっ潰し、開演前から全員板付き。私は侃々諤々、狭間をういろう回廊ただよい人となります。「入りハケなし」の力は、共演者らが回を重ねるごとに「ひやぁぁぁ、もういやあああ」と嘆き悲しみ絶望のまにまにへと誘うもので、私は彼らにこう言ったものです。「みんな、戦時中を思えば、そしてまたここがゲットーだと思えば、なんて幸せなのだ、そう思おう。」と。しかしそれは妄想の話。事実は私こそが「ひやぁぁぁ、もういやあああ」と言っていた張本人なのですから。「さあ、やるよ!」と共演者らに市中を引きずりまわされた挙句スタンバイ。およよ。一方でこのこともお伝えしなくてはなりません。前説にて開演を遅らせるお詫びを耳にしたときに、私は「宇宙」を見ました。暗い暗いブラックホールの中にチラチラという幾つかの光彩。おぉ、あれは地球か。長い道のりだった。ロペスよ、地球だ。お前が念願していた大地がそこにあるぞ。妻よ、我が妻よ、土星の輪を君がため持ってきてあげたよ。虹色の輪ひとつひとつはただの氷の欠片、溶けないように、大切に、運んできたんだ、アァアレ!?あれれ!?あれあれあれ?溶けてる!!おぉ、…「お待たせしました、まもなく開演します」…これが世に言う………か、かあさん!?みちこぉぉぉぉぉーーーーー!!!!!そんな、得難い経験をした小林でした。あと一歩で、ピッパラの樹の下よろしく昼下がりのがざびぃにてブッダへとクラスチェンジするところでした。しかし一方で、つかこうへいの「飛龍伝2003」は、自分が演劇をやろうと思ったとき、一番最初に観た作品でしたので、そこで山崎一平になれたことは、いまだに感無量な経験でした。「しかし自分はパンツを履いてきております!」 じぃーん。さてさて、第一回から第三回までの「今思えば…」とともに獣の紹介を簡単にさせて頂いております。次回は、この続き、第四回公演「せかいでいちばんきれいなもの」からご案内します。最後までありがとうございます。熱中症などにならないよう水分は十分とりたいものですね。夕方以降は雨が降る可能性があります。折り畳み傘があると便利です。(NHK風)小林龍二 PR