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獣の仕業のしわざ

劇団獣の仕業のブログです。 日々の思うこと、 稽古場日誌など。

私的追想:獣の軌跡3

こんにちは。連投する小林龍二です。

もう定型文になってしまいましたが、暑いですね(笑)
昨日はとうとう群馬県も風呂になったようで、このまま暑さが進行しましたら日本全土が風呂化して、
大気にもうもうと漂う湿気のみで入浴が可能になる日も近いように思います。

そうなりましたら人々は、ところかまわず入浴を始め、果ては日本がヌーディー化していくことでしょう。
するとそれが社会現象化して、節度やマナーのある行動を喚起するようになるに違いありません。


「優先席付近での入浴意欲をお切りください。」

「外での入浴、ダメ!絶対!」

「人間やめますか入浴やめますか」

などのコピーが街に溢れることでしょう。こだまでしょうか、いいえ冗談です。


さて、気を取り直しまして「私的追想」を再開します。

昨年の9月28日~29日に、既成作品の第二弾としてシェイクスピアの「オセロ」をやりました。
この前回が「物語がない」ものであったのに対して、むしろ400年近い歳月を生きたシェイクスピアの四代悲劇、
それは当然として、厳然なる物語が、固く、そして強く存在するのです。その物語の有無という差と同じように、芝居のスタイルは変貌しました。

それまでの獣の仕業では「動」が主だったものでした。
「動」による力が舞台に風を起こし波を立たせて、そしてその風が止んだ時、
さながら舞台が台風の目の中へ入ったように、その中で生まれる「静」がまさに突出していたのだと思います。

このオセロではそれが逆転化しました。
「静」による深い力、それも下へ下へと沈降していくというスタイル、
樹木が大地に根を張るように重心をいつもよりも遥かに深く最後まで落とし続けるというスタイルが取られました。

たったひとつの、挙手・投足を動かすことすら躊躇われる、
普段は無意識に送っていた身体の電気信号を意識的な信号に変換して展開させる、というものでした。
いまは、シェイクスピアの「悲劇」を前にすると、相応の「構え」が必要だったのだと解します。
こりっちやツイッターなどで多くのご感想を頂きました。ありがとうございます。


さあ、ここまでやってきたところで、前回の「助ける」です。

「助ける」については以前にもぼややんっと書いたのですが、一点気付いた点を言いますと、
「助ける」はそれ以前のものと比較して「水平」であったと思います。
過去に多く使われてきた跳躍や「落ちる」といった動きを「垂直」だとすると、
跳躍や落ちるといった動きよりも「水平」に流れる回転や動く展開が多かった、
そのような特徴もあったこと、この場で付け加えます。


さて、大変長くなりましたが、次はどのような芝居になるのか私もまだ分かりません。

9月28日(土)~29日(日)、荻窪小劇場にて行います。日程としてはオセロからちょうど1年という日程です。
どのような姿になるか、作品をご覧頂くとともに「今回はこんな特徴が…」という部分もこっそりご覧頂ければ幸いです。

…結局、宣伝文になってしまいましたね。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。


また徒然なるままに書いていきます。


小林龍二
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