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獣の仕業のしわざ

劇団獣の仕業のブログです。 日々の思うこと、 稽古場日誌など。

ふと、雨

ふと

雨なんか降っていて、それが窓を叩くから。

「どうして自分は役者をやっているんだろう」と思った。

迷いがあるわけじゃない。
だけど、役者ってものは、自分の中ではすでに特別でそして変わらないものになっていることに改めて気付いたんです。どうなっても続けていくんだろう、とか。どうすれば続けていけるんだろう、とか。ある意味、いえ、もちろん、という言葉の方がしっくり来ますが、役者を続けるために仕事を変えようと、具体的にまで考えている自分が昔からいます。

誰に頼まれているわけでないのに舞台に立って、お客さんを呼んで、観てもらって、誰に頼まれているわけでもないのに、また次の舞台に、役に会っていく。

自分は、何かあるんじゃないかという欺瞞を持っていました。
音楽でも文学でも美術でも、なにかしらの唯一の才能のようなものを信じていた時期があったわけです。しかし、それは、どれも中途半端だったりして、絶対音感も持てず、それだけで音楽をあきらめたり、そうすることに慣れていったような。

演劇は、たとえ才能がなくてもできる。才能があってもできる。
やるか、やらないか。始めるか、続けるか、やめるか。

それだけの純粋さを感じている。
そして恐らく、自分の場合、一度やめてしまったらもう二度と「役者」だとは言えないような気がする。そうすると、いよいよ「趣味」になってしまう。

俺はそんなものを求めてきたわけじゃない。
演劇は何かの手段なんかじゃない。
役者は表現者である以前に人間だ。
舞台は舞台じゃなくて、ただの空間だ。

生き方でも、やることでも、何が優れているわけじゃない。

優れているもの、劣っているもの、そんなもの、この世には本来そんなものたちはない。
ただ人間ひとり命ひとつで、それが二人から生まれてきただけ。

完璧なものはない。すべて整合されて理由があるものなんて、どこにもないんじゃないかと思う。


小林にはなにがあるんだろう。

ただ笑う。ただ悲しむ。ただ怒る。ただ、喜ぶ。それを100%。
そんなものが演劇を構成しているわけではない。
動きがかっこいいのがいいんじゃない。
声がかっこいいのがいいんじゃない。
台詞が、役が、掛け合いがかっこいいのがいいんじゃない。
美しくなろうとしたらそんなに醜いことはないんだ。
そんな実生活でも手に入れられるものあればいいわけじゃない。
変わっているのがおもしろいんじゃない。

私は、もっと人間になりたい。
もっと人間らしくありたい。
人間であって、獣であって、ただ生きているその人になりたい会いたい。

愛は美しいの?友達は大切なの?大人は正しいの?人間は生き物なの?声はきこえるの?言葉は真実なの?雨は、静かな雨はないの?まぶしくない太陽はないの?夜は暗いの?月は優しい?

なにがあるの。この世界には。

あなたがいる。わたしがいる。あの人がいる。おまえが、いる。


わかりません。
たまに、本番前に逃げ出したくなることがあるんです。
こわい。そう思うことがあります。自分のせいでその人が生まれ損なってしまうんじゃないかと、その命ひとつがどれだけ大切なのか私は知っているから。生まれなければ損なうこともない、けれど、お客さん、あなたのために生まれるこの人に会って欲しい。

まるで、私は医者であなたがたは母のように。必ずすくいだしてみせる。取り出してみせる。
必ず会って、巣立つ姿まで見て、ばいばいを。ありがとうを。最後まで看ていてくれて、育ててくれて見守っていてくれてありがとうございました。
何度も何度も繰り返しましょう。出逢いましたね。


「ヴェニスの商人」稽古開始後より 小林龍二
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