第七回公演 本番直前短期連載「出演者紹介!」のお知らせ 次回公演 2013年08月26日 0 獣の仕業第七回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」上演まで残り約1か月と目前に迫っています。 そこで、このブログ上にて、短期集中連載として本公演の出演者紹介を始めることになりました。 今週から9月の頭までにかけて、今回出演者の団員が、豪華客演陣+団員出演者の紹介を行います。◆紹介順 ※()内は記事の担当者です その1:年代果林/EgofiLter(雑賀) その2:水川美波(藤長) その3:團野カヲル(雑賀) その4:雑賀玲衣(小林) その5:手塚優希(藤長) その6:藤長由佳(小林) その7:小林龍二(手塚)--- ※記事投稿順および担当者は予定です。 ※予告なく変更になる可能性がありますのでご了承ください。 担当者の個性で記事の雰囲気もそれぞれ変わります。魅力的な出演陣ばかりですので、公開をお楽しみに!獣の仕業第七回公演群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌The Act of Beast 7th Stage[The Requiem for my Crowds, my Monsters, and my Lives]9/28,29(土日)@荻窪小劇場詳細は獣の仕業ホームページ公演特設ページにて!ご来場お待ちしております。 PR
一人二役 脚本・演出作法 2013年08月21日 0 立夏です。今日は脚本の、とりわけ、「一人二役」ことについて、書いてみようと思う。 獣の仕業の今までの公演ではほぼ必ず、一人二役が必ずあった。以下の通り。 まずは旗揚げの「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」。この作品では、冒頭のシーンで全員でひとりの台詞を出演者全員で演じていた(ちなみにこのシーンに該当するものが、再演の今回も冒頭に存在するが、内容も受ける印象もずいぶん変わっていることと思う。初演をご覧になった方は楽しみにしていて下さい。) 第二回では1シーンしか出ない役も含めて一人四役が恐らく最多。 第三回公演では全員が最低一人二役。多い人間で三役。 第四回公演はつかこうへいの「飛龍伝」だったがキャストは9人で2003年バージョン(役柄は約20人)を採用したので、山口・美智子・桂木以外は全員全共闘と機動隊両方演じることとなった。 第五回公演は会話よりイメージシーンが多く、その為にそもそも誰がどの役というものが明確に存在していなかったので、場面場面によって役者にはイメージを使い分けて貰った。唯一一人分の役を演じていた俳優も「その時その時で別人のように人格が違う男」と言うお願いをしていた。 第六回公演「オセロ」では、「一人二役」ではなく「二人一役」も存在した。夜光役(原作ではイアーゴー)がそれだ。二人の女優にひとつの役を演じて貰った。演出上は夜光の中には相反するふたつの人格がいて、二人が夜光というひとりの人間の中で「ああでもない」「こうでもない」と言いながらオセロを罠に掛ける算段を整える次第だった。ちなみに脚本上では二人は「夜」と「光」と名前を分けて、それがそれぞれの性格を反映するようになっている(これは上演時には分からない拘りだったので、遊びのようなものかもしれない。こういう遊びについては、脚本を書いたことのある方は少なからず共感していただけると思う) また原作には存在しない「緑眼玉の化け物」(嫉妬の象徴とされている)役とオセロ役は一心同体でシーンによって、または台詞一つ一つごとに、役を交代する演出だったため、これは一人二役同時に二人一役ということだろう。 直近の最新上演が本年6月末に江古田の演劇祭で上演された「助ける」だが、これだけ一人二役構成になっていない。 と言うのもこれが上演時間30分の短編ものでしかも二人芝居だったため。その為脚本の構成が至極シンプルになり唯一の例外となっている。 さて、一人二役は演劇の定石で、二人一役も(珍しいと言って頂いたこともありますが)そこまで珍しい手法ではなく、ただほとんど全ての公演においてどちらかまたは両方が採用されているのカンパニーとなると、少し数が絞られるのかも知れない。 だとすれば、一人二役という脚本に、強い拘りがあるのだろうと推察できそうだが残念ながらそんなことはなく、実はあまり計算せず、ありのままに書いていたらこんなことになっている。 では計算なしにそうなっていった理由は何故だろうなと考えてみたのだけど、結局先にも書いたそれが「ありのまま」だと言うことなのだろう。その方が私達の頭の中に近いような気がするから。そんな理由が1mmくらいはある(考えたけどそれ以外の理由はまだ整理できていません)。 私達の頭の中を飛び交う無数の言葉達は、私達の心だけを成分に出来ているのではない。 例えば、標識が目にとまった瞬間にその人の頭の中に「標識の言葉」がぽん・って飛び込んでくるだろう。 「止まれ」! 見た瞬間に私達は同時に頭の中で「止まれ」と、黙読をしている。車の助手席に座ると通り過ぎていく看板が頭の中に大量に流れ込んでくるし、家にいても、外から誰かの声が聞こえて、聞こえたその瞬間つまり私達がそれを言葉だと理解した瞬間には、もう私達はそれを「読んで」いる。誰かの声を聞いても、手紙を読んでも、音楽を聴いても、風の音でも、それはその瞬間に言葉になる。私達の頭の中に、純粋に「私」の心の中から生まれた言葉なんてどれほどあるだろう?殆どないのではないだろうか。私達の頭の中はそんな風にして、私達以外の言葉で溢れている。 そうして生まれた頭の中の言葉は必ず「私」の心体を介して生まれていく。私達が感じる事象に「私」を通らないものはない。私が知らないものは私世界には存在しない。誰も知らない場所の綺麗な石は光を反射することはないみたいに。(でも私は誰も知らない石も宝石だって、信じているけれど) 私はそんな世界を、舞台の上でも立ち上がらせたいのだ。沢山の人が集まって、目の前に人間が居て、声に出した言葉だけではもったいないじゃありませんか。人間の中にもその周りにも、私達の知らない、もっともっと美しいものが溢れているのに。 だから獣の脚本は、人物の境界線が曖昧で、誰の者でもないみんなの言葉を、みんなで少しずつ紡いで行くみたいに出来ている。風の音も、標識の「止まれ」も、全部が「私」をつまり役者達を媒体にして届いていく。 それが私なりの、私達の心に近づく方法だから。
脚本完成! 次回公演 2013年08月17日 0 こんにちは。小林です。脚本をたまわってから、悶々とする日々を過ごしておりましたため、更新が遅れてしまいました。今後も、更新が遅れていくことと思います。どうか、ご了承たまわれば幸いです。さてさて、夏は一向に止まず、ただ夜は涼しくなり窓を全開にすれば落ち着いて寝入ることができるようになりました。ただし、それはアイツがいないときに限ります。アイツとは、あの「プゥン」という羽音を耳元で奏でる血吸いの音楽家【蚊】です。アイツが部屋にたら、安眠などできようはずがありません。私は、ちゃんとしたところを刺す蚊には、怒りも痒みも覚えないたちなのです。「ちゃんとしたところ」と言うと、皮下に肉や脂肪がちゃんとある部分のことです。しかしあいつらの中には、どうしてだか分かりませんが、私の、例えば指の第一関節や土踏まずなど、卑怯千万な箇所を攻めてくる輩がおります。おそらく蚊の世界においては、そのような部位はトロやエンガワ、サガリのように希少部位に位置付けられているのではないかと思います。そう、グルメな奴らがいるのです。そんな希少部位を吸ったやつらは、きっとこういう会話をするのでしょう。蚊夫「おい、蚊子、昨日、メガネが腹を出して寝ていたんだぜ」蚊子「バカなやつね、寝ている最中にメガネを掛けていたこと含めて。で、へその横を吸ってやった?」蚊夫「そんなとこを吸うなんてトーシロのやることだぜ」蚊子「え?蚊夫くんは違うの?」蚊夫「俺は土踏まずのあの薄いところを吸ってやった」蚊子「やだ、かっこいい!」蚊夫「だろぅ?あの辺りは脂肪とかが少ないから純粋な血が味わえるんだぜ」蚊子「知らなかった、蚊夫くん、グルメなのね!」蚊夫「どうだ、蚊子、俺と一緒に血小板の果てを見ないか?一緒に」蚊子「もうどうにでもして!」蚊夫「行こう、未来へ!」蚊子「いやんいやん!蚊夫のえっち、のび太さんのえっち!」小学校のプールへ飛んでいくインセクツ。。。かのように、私はただただ彼らの餌食になっていることでしょう。しかし私は蚊に対して甘んじているわけではありません。徹底的にやります。必ず、やっつけるんです。もともと我が家には犬がいました。犬は蚊に刺されるとフィラリアという寄生虫に感染して死ぬ場合があります。そのため私は、フィラリアに感染させないためにも部屋に誘い込み、ここを戦地とし、我が身を差し出してこれを殲滅せしめるのです。かっこいい俺。そして私はタオルケットを被り、特定の箇所以外を刺されないように防御し、汗を流し目標を誘います。「プゥン」という音が聞こえるまで耐え、聞こえた瞬間にバサッと起き上がり、近くの白い壁を探します。「ほほー。立体的な線があるぞよ、なんというアイロニー!」「でやあ!」バシンバシン!「ひゃっほー!」なんなんでしょう、あの特殊な達成感は。安眠できる喜びを得て、意気揚々と夢への凱旋門をくぐります。最近では、蚊取り線香が好きになり、部屋をもくもくさせております。ただ、風通しのよい場所に置くとむせます。けほけほ!耐えがたきを忍びます。私の夏は、完全に夏らしい、のですね。さてさて、表題、脚本がすべて出来上がりました。ある映画監督は「最高傑作はどの作品か?」という問いに「次回作だ」と答えたようです。そんな逸話があります。獣の仕業もそうありたい、そのようにできるように当然、真摯に誠実に取り組んでいきたいです。過去のすべての作品・物語を糧にするのではなく、踏み越えるわけでもなく、この、心と身体に内包させ新しく、また彼らと作り上げていきたいと思います。・・・与太話のあとに真面目になる。獣の稽古場は、今日もみんな元気です。ハロー。頑張ろうCQ。ありがとうございました。小林龍二
脚本たまわりました 次回公演 2013年07月26日 0 こんにちは。少しお久しぶりの、小林です。今日の夜はちょっと過ごし易いですね。こんな日は、外に布団を敷いて寝てみたいものですね。冗談ではなく、実は以前より、外に人がいなければ、虫がいなければ、実行したいと思っているのです。朝露の存在は無視して、絶対に気持ちがいいと思うんです。さて、先週の土曜日に、脚本をたまわりました。それから、小林の寄り道ライフが恒例化したのです。私は、家に着くと恐らく安心してしまうせいなのかは分かりませんが、さっさと寝てしまう習性があります。それも、風呂で湯船なんかに浸かるともうダメです。体の疲れが取れるというよりは気力・体力まで奪われてしまい、風呂を出た瞬間から既にラリホーマ状態です。「ふごあぁぁ」パタリ。逝ってしまうのです。家だとこうなってしまう私は、だからこそ台詞を外で覚えるのです。ひたすら、ひたすら、ひたすら。できれば国道に布団を敷いて、電気スタンドの明かりを頼りに覚えるのが1番いいのですが、そこはやはり無難に喫茶店やファミレス、ファーストフード店などでもんもんと覚えます。頭からちょうどよいところまでを、繰り返し、ひたすら。ちょっと進んだと思ったら、また戻って、反復します。さて、台詞の覚え方は人によって違うようです。①受験勉強のように、とにかく書いたり発音して覚える方法②大きな声で読みまくる方法③ICレコーダーで録音して、ひたすら聴いて耳で覚える方法④暗記パンをイメージして食パンにジャムで台詞を書き、覚えたと思ったら食べる方法それぞれ試した結果、①は浪人・留年時代の受験や試験勉強を思い出して発狂。もうあの頃の僕じゃない。②社会の窓を全開にしてやったら近所迷惑になって、隣人を愛した。③読み方が単一なため棒読み度が上がって世間に懺悔した。④覚えられていないこと多々で太った。やがてお腹をいっぱいにすることが目標になった。エンゲル係数が高くなった。食パンからクロワッサンに変えたとき大人だと思った。そんなこんなで現在の方法を実施しているのであります。現在の方法は、②と似ているのでしょうか。ひたすら読み、また目でも覚える、ということなのでしょうか。ただし、台詞を覚えることは大得意ではありませんので、とにかく頑張るのみです。しかし、私が覚えている姿は端から見るとおかしいかも知れません。目が虚ろ、虚空を傍観しながら口をもごもご。これで瞳孔が開いていればオジーオズボーン。彼はまだ元気なのでしょうか。分かりません。こだまでしょうか、いいえ、めだまです。さて、そんな話はもう流してしまいましょう。素麺が如くさらっと。取り落としてもいいんです。下で溜まりますから。それを食べればいいのです。だがしかし芝居は違いますきっと。グッと集中してちゃんと取るべき場所で、あるべきかたちで取り、つゆにも適度ひたします。もし落とすと、下にたまりますけど、でもそこにたくさん溜まってもお客さんには見えないんですよね。だからして台詞も、こう、くっと溜飲させてしまいます。言うは易し為すは難し、そして、王道はなし。ジョージくん。生まれたばかりで恐縮ですが、もし芝居をするなら台詞は覚えなきゃダメですからねご機嫌麗しゅう。ところで私も王にしてもらえないだろうか?石油王で我慢、光栄に存じます候。石油。それは太古を生きた生物の血、肉、涙。大地を吸い尽くし食らい尽くしましょう人間よ。あなたたちもきっとなるに違いない太古の油。ペスターという油獣。みずを由とする獣よ。さあ繰り出して ガソリン給油して 未来果ての果て 現在へ!!?小林龍二?
稽古開始! 次回公演 2013年07月19日 0 こんにちは。小林龍二です。一昨日頃から、東京でもセミの鳴き声を聞くようになりました。ジーワジーワ。また本日の朝は、カエルの死骸を見つけてしまい、季節の移り変わりに一種の残酷さを知ったものです。季節の変わり目は生き物(とりわけ昆虫等)の変わり目でもあるのだなと思い知らされました。いま鳴き始めているセミも、初秋にはコオロギなどの「鳴き虫」に変わり、やがては音もない冬に入っていくことでしょう。さて先週の7月14日より、第七回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」の稽古が始まりました。客演の團野カヲルさんと年代果林さんともお会いし、気が引き締まる思いです。今回は、こちらのお二方に加えて、大学演劇研究部の3期後輩で、この「群集と~」の初演に出演し、また「せかいでいちばんきれいなもの」にも出演した水川美波さんが出演します。お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、♂は私のみで、これは「せかいでいちばんきれいなもの」以来のことです。「ハーレムじゃんか。」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、なかなかどうしてそこにあるはずの甘い蜜を吸うことはできないのでございます。「あたしら着替えるから出てって!ほら!」と「伯方の塩」をビンごと投げつけられ私は稽古場を追われます。しかしそれもなんのその、その「伯方の塩」はゆで卵のために生まれたに違いない、颯爽と取り出だしたる茹でヨード卵、殻をむいてサッサっとふりかけ頬張り候。うまい。しかし私はたまりかねると、こんな風に言うのです。「みんな聞いてくれ!俺らは共にひとつの芝居を共同で作らなくてはならない!」「だから、どんな時でも一緒にいて何を考えているのか知りたい!」「みんなが役についてどう考えているのか知りたいんだ、どんな時も!」「役者をやっていて、みんなの考えが分からないのが一番つらいんだ!」「どうかこの気持ち、分かってもらいたい!」「だから、着替えを見せてくれ!」今度は岩塩が飛んできます。私は素直で善良な人間です。人間、どう考えていたとしても、やはり本音は建前以上に存在を増し、最後にはとうとうその姿を現わすのです。オセロが「緑の眼玉をした化け物」を生み出したように(?)ああ、オーネストな小林。さて、こんな楽しい稽古場です。実際、獣の稽古場は意外に和気藹々としています。楽しみながらも、しっかり切り替えて向かい合い、良いものを作っていきたいものです。今までと変わらず細やかな抱負です。今回は簡単ですが、これにて失礼いたします。また徒然なるままに更新して参ります。小林龍二