学生演劇に就いて 雑談 2011年11月26日 2 今日、演劇を見てきました。 電気プロデュース×てんま=でんま「おお、あなたの神!」 演出 電気/作 テンマユスユキ/於:サブテレニアン 前回の「飛龍伝」に出演した里中志遠が工藤名義で客演している舞台です。 久しぶりに、背筋のよい学生演劇を見たな・と思ったのでした。 残念ながら公式サイトのようなものが見つからず、どのような団体か予習できずに客席に着いたのですが、幕が開けての男優の一声目の発話の感じでもって学生演劇だと言うことはすぐに分かりました。 学生演劇であれば学生演劇として見てみようというのが個人的な見方であります。 夏の終わり頃にも某大学演劇部の作品を拝見しましたが、なんでしょう、 「学生演劇」こと「大学演劇」というのは、自分が社会人になってようやっと気がつきましたが、独特の・かつ共通のムードを、纏っているようです。 それは完成度云々というよりも、自意識の高さとか、緊張感の欠落であるとか、そういったもののようです。 わたしが学生の時に制作していた作品も、そういったものだったように思います。 説明の足りない、でもどこが気づいてもらいたがるようなそぶりをする、作品でありました。 わたしは学生を辞めて、自意識を体の中に・入れ込むことが必要になりました。 また単純に責任のあるタスクの存在から、自意識にかまけている時間や余暇も減っていったのです。 そして何より、どんなに思っていても、人間はわかり合えないとか、 どんなに言葉を尽くしても通じ合えないこともある、そんな人や世界もある・それを知り、 そしていつか、その葛藤自体がいとおしくなるようになりました。 そんな頃です。自分たちの作る芝居の姿がはっきりと変わったのは。 里中さんと初めてコンタクトをとったときには、かれはまだ高校生でした。 かれは、自分の周りの友人たちは演劇に対する意識が低いのではないか、もっと真剣に取り組むべきなのではないか・と、おおよそそのようなことを、わたしに言ったことがあります。 わたしは大学生の頃、学生演劇が嫌いでありました。 自分の周りのひとたちは、ただみんなで楽しくできればいいだけで、 演劇を本当に好きな人なんていないのだ・と思っておりました。 でも、とわたしは彼に言いました。「それでいいのではないか」と。 わたしは今、学生演劇が好きです。 下手でも、仮に自己満足でも、友達と一緒にいたいだけでもよくて。 演劇のこと全然好きじゃなくても、まあなんとかぎりぎりよくて。 学生演劇の舞台に散る、一生懸命さや、友達と一緒にいることが楽しくてしょうがないその揮発性の高い香りを嗅ぎに、自分は学生演劇の舞台に足を運んでいるのです。 今日の里中さんは大変楽しそうでした。とても楽しそうにやっておりました。 楽しそうな役をもらったね、と思いました。それがすべてです。 千秋楽までおなかいっぱい食べて、よく寝て、大きい声を出していってくれれば最高です。 作品全体のことを言うならば、普段言えないことを作品にはぶちまけました・と言うようなところが少なく、個人的には好感を持ちました。 むしろ作家性も演出性も薄かった。それがいいかわるいかは、個人の嗜好だと思います。 明日まで、東武東上線「大山」のサブテレニアンにて、上演されているとのこと。 よく蒸発する香水みたいな、甘ったるいにおいでありました。 立夏 PR