はなをおくる 雑談 2012年06月28日 0 立夏です。 今では随分自分を取り戻したけれど、 二週間前、自分の大切な人が亡くなりました。 一体どういった事なのだろう、自分の大切な人が、天寿を全うするでもなく・病気で長く伏せていたでもなく 予告なく、突然に、この世からいなくなってしまった。 一体どういう事だろう。ここは、何もかも傷ついていないようにして、やはり普通に今まで通りに回っているのだろうか。 あの人に関わっていた私以外の周りの人は、大人だから、隠しているのだろうか(でも後ほど気が付いた事には、皆それぞれ、深く傷ついていたのだ) 私は、私だけが不安で・傷ついているような気持ちになり、 今まで当たり前のようにできていた事が立ちゆかなくなった。 メールがきちんと読めない。本を読んでも頭に入ってこない。 いつの間にか何もしていない時間が出来ている。 電車に乗る事が怖い、大きな音が怖い。 知らない人と接触する事が怖い。 歩き慣れた道ですら、何度も迷った。 それもすべて葬儀に出席して、取り戻した。 ああ、本当に、そうなのだ・と。そして私が(私達が)あの人の居なくなって途切れた部分を繋いでいく事が、 これからもあの人を本当に、生かす事になるのだろう。 私は大丈夫になった。 それから芝居を見た。芝居のDVDだ。それは5年前、自分が大学を卒業したときに最後に携わった公演で、 後輩の皆様も沢山出演・協力してくれ、自分は脚本と演出をやらせてもらった。 今の獣のメンバーは殆ど、この公演に参加している。 下手だ。凄く下手だ。下手だと口に出して笑ってしまう程下手だ。 でも、いい。 当時はあれ以上出来ないだろう。そこを超えようとしてぐちゃぐちゃになって余計おかしくなってもいるが、それが(本人から言うのも烏滸がましいが)何だか、好ましい。 公演の映像が終わった後、最後のメニューには後輩の皆様からの卒業おめでとうのメッセージが録画されている。 私は自分の心が折れそうになって、何度も何度もそれを見た。 二年下の後輩である当時の部の主将が、私に対してこんな事を言っている。 繰り返し見続けた、何度見てもそれは同じ映像、同じ言葉だ、同じ表情だ。 「僕たちが芝居を続けて来れたのは、貴方のお陰です」 全て同じである筈なのに、それは毎回違ったように私の耳に届いてくる。 ありがたい。 また始める事が出来るだろう。 またここから始めたらいい。 今、出来れば、面と向かって言いたい、彼らに。 「私達が芝居を続けていけるとしたら、それは貴方たちのお陰です」と。 PR