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獣の仕業のしわざ

劇団獣の仕業のブログです。 日々の思うこと、 稽古場日誌など。

「空騒ぎ」上演後記

こんにちは。小林です。

獣の仕業 第八回公演「空騒ぎ」、おかげさまをもちまして、無事に終演いたしました。
お忙しい中、またお足元の悪い中、ご来場くださいました皆様、本当に、本当に、ありがとうございました!
また、ご来場いただけなくてもその旨、ご連絡をしてくださった皆様、ご検討いただいた皆様も、ありがとうございました。

今回、上演後記ということで、のっぺりほわほわと書いてまいります。
獣の仕業は、今までとりわけ悲劇を扱ってきた劇団です。
それは、立夏の中でそう決めていたという訳ではないと思うのですが、そのすべてが悲劇に分類されるもの、いわんや、ただ「暗い」だったのかも知れません。

2008年秋の第一回「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」
これは、なくなっていく自分の知る街と壊れてしまった友情を探しにいく、そんな物語、ラストが必ずしも幸福かと問われても答えられない、瓦礫に埋まった小さな世界に小さな花が咲く、そんな印象を私は持っています。

2009年初夏の第二回「女は鎖、男は愛を潰す」
これは私が書いて演出した作品ではありますが、やはり悲劇に分類されるのでしょう。
男に支えられる「女」が、金という俗物に寄り「女」というジェンダーをなくして腐って溶ける。
女の母は、新しい子を宿して、女は母の栄養になって「私はあなたのために生まれてきたのかもしれない」そう言って目を潰されます。・・・なんちゅう話だろうか(笑)
他人がいる自分と世間の中にいる自分と、生きる覚悟と自立と。当時の自分の、曖昧な立場でも考えたのでしょうか。

2010年秋の第三回「雷魚、青街灯、暗闇坂、あるいはうしなわれたものたち」
これは獣史上、最恐の悪夢です。暗い坂へ転がり落ちて青い光でさえ小さくなっていく。家族、親友という最も近しく狭い世界で起きる屈折した愛と憎しみと、愛、愛、愛が螺旋する物語。何が現実なのか誰の現実なのか。殺した親友が魚になってよみがえって、妹に会いに来る。
私も正直まだよく分かっていません。この作品は、これだけで、起きていることだけが真実の物語なのだろう、と。とにもかくにも、悲劇というより、悪夢です。

2011年夏の第四回「飛龍伝」
これはご存じ、つかこうへいの既成脚本に取り組みました。
脚本は2003年ヴァージョンで、セリフはそのままに獣の特異な動きや立夏の演出によって、つかこうへい劇団のポップさはほぼすべてなくして、暗く、閉め切った部屋に西日が差しこむような、世界の中、そう、それは部屋のような場所でしょう。その狭小な部屋、のような場所で、全共闘と機動隊という社会の中にある二人が、愛をぶつけ合う、罵倒ですらすべて愛の言葉。誰よりも強く、何よりも大きい愛で、山崎一平は美智子を警棒で殴り殺します。愛した妻を自らで殺したことで狂った山崎は、正気に戻ったかのように、美智子に会い、死にます。…まあ喜劇ではないでしょう。

ふわあ、長くなってきましたね。次でいったん締めましょう。
2012年春(2012.03.10~03.11)第五回「せかいでいちばんきれいなものに」
震災から1年後に上演した話。「彼」を探す物語。「彼」はなくなってしまった、壊れてしまった場所へ向かった。彼がどこにいったのか、その足跡を、ただ断片的に映す。彼にすがる女、彼に抱かれる女、彼を包む女、彼を診た女、そして彼を探す女。誰も皆、「彼」を知り、彼を寄る辺にする。しかし、彼の寄る辺は?春が来た桜の樹の下、彼は見つけられる。ただ、弔い眠る。

と、ここまで書いてきました。
このあとも、第六回「オセロ」に番外「助ける」、第七回「群集~(再演)」というように、やってきました。ポンっと思うと、もしかしたらだんだん明るくなってきたような気がします。
前向き、と言いますか。しかしそれは「希望がある」であって、確実性をもった「幸せ」ではありませんでした。

ここで、話を一気に戻します。
「空騒ぎ」は喜劇でした。ですがしかし、「ここ、悲劇でしょ」というところがありました。
クロハが嘆くところ、トビトと紅葉のシーン。今でしたら、トビトの「さようなら」はすべて、いわゆる死亡フラグです。しかし、そうはならなかった。それは飽くまでこの物語が喜劇であったからです。
しかしそんな中、コンラッドとデイジーだけが、最終的な場面で喜劇の様相を呈していなかったのは、おそらく立夏の意思があったのではないかと思います。400年前には、あのシーンは勧善懲悪的な「悪い奴が捕まった!よかったー!」という風になっていたのかも知れません。立夏は、その、今ある脚本において、人間がどうなるかということを考えて自然そうなったのかも知れません。
私は聞いていないので、真実は分かりません、が。

コインの裏表のように、喜劇と悲劇は背中合わせのもの、そのようなことを言っていました。
「空騒ぎ」は喜劇です。ただ、しかしそこには人ひとり、役者ひとり、それが立っているだけです。
「獣の仕業」らしい喜劇になっていたなら幸いです。
そしてまた、皆様の心の中に、少しでもほっこりと残り、コインが回って明滅するように、何かの折りに思い出していただけるとしたら、一同幸せに思います。

獣の仕業、次回は11月1日~3日、「ヴェニスの商人」を上演します。
また劇場にてお会いできることを楽しみにしております。


改めまして、誠に、ありがとうございました。


拝 小林龍二
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