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獣の仕業のしわざ

劇団獣の仕業のブログです。 日々の思うこと、 稽古場日誌など。

あてがきのこと

立夏です。ひっそりとご好評いただいている脚本のこと。
 今回は「あてがきのこと」を書きたいと思います。

(よろしければお付き合いください)

 映画のシナリオや演劇の脚本など、人が演じるもの台本を書くときの考え方に「アテガキ」というものがある。先に役者が決まっていて、役者に合わせてセリフを書くという意味だ。
 私があてがきというものの存在を知ったのは今から十年前、ラーメンズの小林賢太郎曲集のあとがきに書いてあったのを読んだことが最初で、その後大学の演劇部に入った時に先輩から「今回はあてがきで書いたから」と渡された脚本の中の自分の役がそれはもう恐ろしく口の悪い女だったことを今でもよく覚えている。
 劇団が上演のためにオリジナルの脚本を執筆開始する時点で、構想何年と言うこともない限り恐らく出演予定キャストのほとんどは決定していることと思う。獣の仕業は劇団であるから所属の俳優がいて、所属の外部出演と調整して上演日が最も始めに決まる。この時点で客演募集などは始まっていないが大体の人数は執筆前におおよそ決まっていて私は執筆開始時点で誰が出演するかを把握した状態で書き始める。劇団では・と言うことを強調したのは確かプロデュース公演の場合は公演ごとにイチから俳優にオファーをするはずなので脚本が完成してからキャストを集めるかもしくは執筆と並行してオーディションを行うのだろう(プロデュース公演に関わった事がないのでこの辺りは全く分からない)。各団体の公演準備期間やタイミングで千差万別かと思うので「こういうものだ」と言い切ることはできないけれど。
 少し脱線してしまったのだけど、獣の仕業のようにキャストが概ね決まってから脚本を書く場合、脚本家役者に合わせようと思うが思うまいが、まったくあてがきをせずに作品を作るのはまず無理だと言っていいのではないかしら。もちろん作家にキャスティングの権限がない団体や、作家が書くだけで現場に全く顔を出さない団体が数多くあることを私は知っているけれど、この場合でも作家はおそらく役者の最低限の情報(背格好や年齢とか)は知っているのだろうと思う。それさえ知っていれば、それだけでほんの少しのあてがきが生まれると思う。
 
 私なりのあてがきの定義。アテガキとはなんですか?と聞かれたら私はこう答える。役者のことを考えて書くことです、と。脚本家の中に役者のことを考えないで書くものは殆どいない。
 私のアテガキは役者の喋り方や見た目に似せて書いているわけではない。役者の歴史や思いのアンサーソングのように、内側・のことを書いている。脚本を書くときには役者たちの顔が浮かぶ。役者たちの話し声が聞こえる。役者たちが生来持っている物語や歴史があって、私はそこに向かって言葉を投げかけていく。そうやってできた脚本の中の人物たちは表面的な部分を似せたあてがきよりもある面で役者たち本人に良く似ていると思う。
 
 今週上演される「群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌」では、表面的な口調をそれぞれの役者本人の口調から離れた部分で書いている。本読みの時はずいぶん喋りに強い違和感があったようで皆悉く歯茎がぶかぶかしたようなセリフ回しだった。でも大丈夫、言葉は違っても、心はみんなのものだから…、と思っていた。しかし話し方と言うのは人と人とのコミュニケーションで最も大事な項目の一つ。言葉だけではいけないけれど、やっぱり言葉は偉大なものだ。だから今回は今まで獣の仕業をずっとご覧になってくださった方々にはこれまでと一味違う役者の一面をお見せできるのではないだろうか。

 いよいよ今週本番です。皆様のご来場、心よりお待ちしております。

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獣の仕業第七回公演
群集と怪獣と選ばれなかった人生の為の歌
The Act of Beast 7th Stage
[The Requiem for my Crowds, my Monsters, and my Lives]

9/28,29(土日)
@荻窪小劇場

詳細は獣の仕業ホームページ公演特設ページにて
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